2012年6月17日日曜日

現実に帰納法の証明をつけパラドックスと喜ぶ人々

簡単に言うと数学屋(の一部?多く?)である.
「ご冗談でしょう,ファインマンさん」には,「彼らはさんざん考え議論して証明できると『うんうん明らかだ』とうなずきあっている.彼らが一生をかけたとしてもできることといえば,明らかなことだけなのである」とある.これは clear という言葉の意味を使ったイヤミだが,実際そういう傾向がある.
数学を愛する方々がお好みの「たのしいお話」の一群に,帰納法を使った「パラドックス」がある. 「人間みなハゲである」,「ごはんは何杯でも食べられる」というのを帰納法によって証明できる,というものである.Wikipedia によればギリシャ時代からあって欧米では Sorites Paradox と呼ばれるそうである.
「頭に髪の毛をいっぱいはやしている男はハゲではない.さて,毛を一本抜いたところでハゲではない男がハゲになることはない.だがしかしながらこの作業を続けるとハゲになるのは明らかではないか.」
「砂粒が山とある砂の山から,砂粒を一つ二つ取り去っても,砂の山であるのにかわりない.しかしこの作業を続け砂粒一つになれば,砂の山ではないではないか.」
これらのいにしえの問答のネタを数学的帰納法の証明に使って,「何本抜いてもハゲにならない」とか,「ごはん(米)はどれだけ食べてもおなかがいっぱいにならない」という話にすると,おもしろいのだそうである. そんなことよりギリシャやローマ時代から男性にとってハゲというのが悲哀の源であるのに変わりがないということのほうが興味深いと思うが,それはいいとしても.
sorites paradox は,ハゲとか砂の山といった言葉の曖昧さからおきる逆説だということになっているようだが,そんな数学は不完全な理論体系である,的な小難しいしかしわかりきっている議論をする必要すらないと思われる. というか,数学屋は,不思議でも何でもないことを,パラドクスと呼んで不思議がってよろこんでいるだけだ.

1.「ごはんはどれだけ食べてもおなかいっぱいにならない」
主張: 「今,おなかいっぱいではないとする.このとき,ご飯(米)を一粒を食べてもおなかいっぱいにならない. すると数学的帰納法により,ご飯をどれだけ食べても,いつまでもおなかいっぱいにならないではないか!」
あたりまえだ! ご飯を一粒ずつ食べていたら,いつまでも,おなかいっぱいにはならない.やってみたらわかるだろう.ご飯(米)以外のものを隠れて食べたら当然おなかいっぱいになるから,まあ2〜3日ご飯ばかり食べてみればいい.ご主張どおり,ご飯を一粒ずつ食べてもらう.ネットで調べると,茶碗一杯で3200〜3800粒ほどであるらしい.訓練すれば,くっついてかたまりになっていても1秒に一粒ぐらい確実に食べられるだろう.ご飯茶碗一杯ではカロリーもたりぬだろうから,一食ごとに2〜3杯食べていただく.一食につき2〜3時間かかることになるだろうか.ほかの生活は,夜寝るとか仕事とか,普段通りにしていたら,食事の時間が足りずにどんどんひもじくなっていくだろう.
一粒ずつ食べるなんて,と自分でした主張に自分でけちをつけるなら,「ご飯を一杯食べてもおなかいっぱいにならない」と修正してみたらいい.非常に多くの人が主張には時によって同意できないと言うだろう.
生物は,代謝する(定義).生きていればエネルギーを消費するし,エネルギーを得るために食べて消化する.食べるのにも,消化するのにも,時間がかかるのである.ファーブル昆虫記に,ヒジリオオフンコロガシ(スカラベ)の食事の観察が出てきたと思う.食べているそばから排泄するらしい.多くの野生動物は,いつも食べ物を探している. 数学は,時間の概念がないので,現実の話ができないのである.

2.「抜き打ちテストはできない」
主張: 「論理学の集中講義について,こんな掲示がされた:『来週月曜から金曜までのいずれかの日に,テストを抜き打ちで行う.その日をテストが行われる前にあらかじめ知ることはできないから,授業の期間中毎日しっかり勉強しておくように』.
これをみてある論理学が得意な学生が言った.『この抜き打ちテストは実施できない.木曜までにテストがなければ,金曜に行うことがあらかじめわかってしまうから,金曜にはできない.水曜までにテストがなければ,金曜にはテストができないから,木曜にするしかないことがあらかじめわかってしまい,木曜にもできない.同様に,水曜,火曜,そして月曜もできない.したがって,このような抜き打ちテストは不可能である.』 そうして安心していたところ,木曜に突然抜き打ちテストが行われた.」
あたりまえだ.まず抜き打ちテストが行われる日をあらかじめ知ることはできない,というのは,テストの日をテストが行われる前に論理的に導くことはできませんよ,ということであって,だから学生の結論「抜き打ちテストは実施不可能」という結論は,どの日にもテストが予想できない,という追認の結論を曲解しただけ. 論理的でなければ,あらかじめテスト日を予想をして,必ずあてることが可能である.これは,のむらしんぼ著「とどろけ一番」のプロテス3兄弟の奥義「トリプル答案固め」を応用すればいい. 集中講義も履修者は5名ぐらいはいるだろう.履修者を5名つのり,それぞれ月,火,水と一日ずつ予想することにする.すると,5人のうち一人は必ず「予想した日にテストが行われるので,前日にだけ勉強をすればいい」のだ.(それにしても,いくら誰も満点を取ったことがないほど難しいからといって,試験中に会話をしないでほしいプロテス三兄弟..)
そもそも,この学生の論理で,金曜に抜き打ちのテストができないのは,木曜までにテストをしなかった場合だけ.木曜にテストをした場合,金曜はテストをしなくていいし,逆に抜き打ちでもう一回してもいいのである.テストが行われないまま金曜になった場合には金曜にテストをすると抜き打ちにならないというのは事実だが,それを金曜になる前に,水曜,火曜に,勝手に常に成り立つ事実として使うのはおかしい. 数学は,時間の概念がないので,現実の話ができないのである.

すみませんひさしぶりにイラッとしたので書きました.